FIREとは己のルールで生きること

FIREとは

何度も書きますが、FIREとは経済的自立と早期リタイアを組み合わせた造語で、経済的自立とは労働しなくてもお金を稼げる、もしくは労働しなくても資産だけで生きていける状態になることを指し、早期リタイアはそのまま働きたくないから経済的自立があるから、定年よりも早く仕事を辞めることです。

 

ルールと秩序

最近でいえば、コロナになって、海外では一時期にせよ、マスクを義務化した国はありましたが、日本では最初から今までも一度も義務になったことはありません。努力義務とか推奨であり、しかし皆がしているからするのがマナーだ、ルールだとなってはいましたが、もう一度言います義務ではありません。マスクをしなくても、犯罪ではないし、後ろめたいことももちろんありません。

 

ルールとは法律では厳しくする必要がないけど、ある程度の秩序を維持するのに使うもんですね。

という事で、ルールとは、強者が作ったルールなので、もちろん強者は変更もいつでも自由です。

過去をさかのぼれば、例えばスポーツ界。スキーのジャンプ、ノルディック複合で日本が強すぎたためスキー板の身長に対する割合の制限ルールができ、日本はメダルから遠ざかり、柔道も強すぎたため、海外勢が有利と言われる抑え込みの秒数が5秒減り...そんなルール変更が数々行われてきました。それは競技自体の強者ではなく、競技団体の世界協会での理事会での力関係によるものです。

学校の校則を生徒会が変えようとすると教員たちは反対します。私立の学校の生徒会では変えれたという事も聞きますが、公立の学校ではまず無理でしょう...

 

あと、例えば、洗濯洗剤や食器洗剤のこれくらい使いましょうと言う規定量の設定なども物を売りたい企業側が決めたことなので、別に本来それに従う事はありません。

それに規定量を使わなければ汚れが落ちないという事もありませんしね!!

 

自由とは無法ではなく自分のルールで生きる事

日本国内で生きる限りは、法律は守らないといけません。それは犯罪になります。

 

しかし、法律で定めのないルールに関しては守る必要がそもそもありません。例えば日本人は65歳定年まで労働しなければならない。と思っています。でもそれは法律上の義務ではないし、あくまでも働こう、働けるよという努力義務です。もちろん憲法に労働の義務はありますが、何も他人に首根っこ掴まれて鎖でつながれて会社で労働しろとは規定していません。

 

お金の心配がないなら、NPO団体やボランティア、自宅菜園に農業して労働していれば労働です。

日本人の頭には労働しないと金は稼げずに、納税の義務があるから税金を払えないという連鎖で思考していますが、二つは別個に考えてもいいのです。

 

まあ、大半の人は結局働かなければ金を稼げないから働くしかない、必然納税も済み、国民の義務を果たせることになるんですけどね。

 

また、以前も書きましたが、FIREするための、生活費の25倍4%ルールも他人が決めたルールであり絶対ではありません。自分のFIREに関しての考え方、方向性を決める一つの指針として使う分には良いですが、何もあれを守ったから確実にFIREできるわけでもないし、そもそもあのルールに固執している人は、結局、他人が定めたルール、いや他人の手のひらの上でまだ踊らされていることに気づいた方が良いかもしれません。

 

FIREするという事は、そもそも既存の””ルール””や日本人が考える””当たり前””という既成の概念との戦いでもあるので、そもそもすすべての他人が考えたルールや決まりというものに一度思考して、自分に合った自分だけのルールで生きることをしないと生きたいけないように思うのです。

 

おすすめ